規模こそ大きくはないが、全国的にも新しい試みをしている点で、
多分、その筋では注目される施設となるだろう。
実はそのオープニングに行くべきか大変迷いがあった。
設計のはじめから、現場の最後まで一貫して関わるのが自分の会社の伝統なのだが、
ここ最近の社内事情のなかで、
沖縄の場合と同じく、この建物は後輩に現場を任せることとなった。
今その代わりに引き受けた仕事は、確かに規模も桁が違う
より「挑戦的」な仕事ではあるのだが、
思い入れの深さは自分にとっては規模の大小に関わらずどれも等しい。
名残惜しい気持ちは大きかったが、
施主への説明を経て、交替を納得していただいた手前、こそこそと自分が関わり続けることは、
施主にとっても、会社にとっても、そして引き継いでくれた後輩にも、失礼だと感じたからだ。
今の仕事をきちんと完成させることが大事なのだと。
図面をあげてからどの位たつだろうか。
長い時間電車に揺られて久しぶりに訪れた町は、祝賀ムードで溢れていた。
久しぶりにお会いした施主にご挨拶できたことは、とても有意義だったし、
忙しいなか、自分が交替してからの一部始終を、
にこやかに長い時間説明していただいたのは正直嬉しかった。
会社の枠組みを超えた仕事仲間との再会もまた同じ。
「あのときはお互い良く徹夜しましたねぇ」という言葉が懐かしくもあり、
一つのプロジェクトをみんなでやり遂げた達成感を共有することができた。
その一方で、ちょっとした身震いも感じた。
完成した建物はもちろんある水準をクリアしていたのだけど、
細かく見ていくと、当たり前のことなのだが、良くも悪くも、
図面の完成度に応じた出来栄えだった。
図面がきちんとしているところはきちんとしているが、
あいまいになっていたところが建物としてぼやけているのがはっきりと読み取れた。
これは偏に図面をまとめた自分の責任だと感じた。
そして図面描きとしての役割の大切さを改めて実感した。
図面の甘さを現場の監理段階で煮詰めればいい、という考えはやはり間違いであるし、
引き継いでくれた後輩を責める訳にはいかないのだと。
その一方で、きちんとした図面を上げていくことの難しさもある。
施主の度重なる変更は設計の最後まで、時に現場まで引きずることさえある。
信念に基づき、無理な要求を突っ撥ねることと、次の仕事への営業は必ずしも同じベクトルには無く、
立場は非常に脆弱な基盤の上にあるのだけれど、
そのなかである品質を確保していく力が求められている。
時に柔軟に、時に頑に。
そういった自分の立ち位置を再確認した次第。
自分の本当にやりたいことがようやく見えて来た、ということなんだろう。
きっと。