2007年09月27日

新聞。

最近、新聞を読む暇がない。

ぶっちゃけ携帯依存症なので、殆んどニュースは携帯経由だ。
酷いときはミクシーニュースばかり。(笑)

郵便受の新聞はそのままリサイクルの袋に入れられることも多くて、
最後には交換されてトイレットペーパーになる。

なんだか高いトイレットペーパーだな、と思いながらも、購読を続けている。

新聞は編集方針その他により各社、いろんなバイアスがかかる。
記事の取捨選択、重み付け。
1面から始まるレイアウト。

それは当たり前の話であって、そこから本当の真実を探るのが新聞を「読む」醍醐味がある、なんていう話は、どこかしこで昔聞いた話だ。

小学生高学年の頃、前日の新聞の切り抜きをして、それについて感想を発表するという、
授業だか日直の仕事だか、先生の単なる趣味だかわからないイベントがあって、
自分は散々悩んだ末に、3面の、一番しょうもない内容の記事を選んで感想を述べた。

返ってきた担任の言葉は、
「もっといい記事ないのか。」
だった。
今思えば、ごもっともな意見な訳だけど、
当時は子供心に、大人の身勝手な論理や、倫理みたいなものに言い様のない違和感を覚えたものだ。

当時は記事の重み付けすら解らなかったし、自分の価値判断でニュースを取捨選択して何が悪いのか?と疑問に思った。
多分、担任はこう付け加えたと思う。
「1面や2面の記事を切り抜きしなさい。」と。



いつの頃から、新聞がネットでも配信されるようになって、最近はそれらがぶつ切りテキストで飛び交うようになり、記事の重み付けがさらに解りにくい状態になった。

さらにページランクやらで、読者の好みが反映されたりすると、勢い、3面記事的なものが、前面に出てくるようになる。
記事に広告がついていたりして、ページビューを上げようとする動機が働けば、1面ニュースでさえもゴシップ的な色彩を帯びてくる。

ミクシーニュースを見ていると、特にそんな傾向を感じとることが出来る。

ニュース記事をもとにした日記も、乏しい知識に裏打ちされたエゴ丸出しの感想が乱舞していたりする。
もう少し踏み込んで言ってしまうと、このミクシーニュースというシステムそのものが、他人否定による自己保身=エゴの集合体としての、エスノセントリズム的な空気を煽っているような気がしてならない。

SNSの目指すものが、「信頼と安心感のあるコミュニティ」だとして、新聞の使命が、より良い社会に向かうべく多様な情報を流すことだとすれば、
それらのかけ算はこんな答えにはならないのに、と思いながら、相も変わらず、新聞を読む暇もなく、電車の中でミクシーニュースを読む、今日この頃なのだ。
posted by drag_on at 01:19| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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